改革 Nothing is off-limits for reform. 2003 7 13

 株価が多少でも回復した今こそ、改革を推進すべきです。
行政改革、地方の改革、地方の活性化、いくらでもあります。
中央政府も地方政府も、時代に取り残されて、古色蒼然としてしまいました。
 こう言うと、すぐアメリカ流の改革が必要であるとか、
あるいは、どこかの外国の改革例を持ち出してきます。
しかし、これは、未だに、明治政府時代の富国強兵的な発想が抜けきれてないのです。
 明治政府の時は、外国に追いつけということで、
外国に視察に行き、外国流の改革を学んできました。
だから、アメリカ流の改革が必要だと、過度に主張する者は、
明治時代の発想が抜けきれてないのです。
 確かに、アメリカ流の改革は優れています。
しかし、このアメリカ流の改革は、
アメリカに向いている制度であることを忘れてはいけません。
 アメリカは、成功社会なのです。
次々と新しい成功者がでることで、国を維持しているのです。
悪く言えば、自転車のようなものなのです。
こぐことをやめれば、倒れます。
このシステムが、全世界の国々に適していると考えるのは、間違いです。
ワンパターン思考の一種です。
 日本にも、偉大な改革者は、いたはずです。
例を挙げれば、上杉鷹山です。
財政危機と、不況で苦しむ、米沢藩を改革しました。
それから、財政再建に大きな能力を発揮した、本間光丘という人物もいました。
その当時、本間光丘は財政のプロと呼ばれていました。
日本史を振り返れば、偉大な改革者は、多くいます。
 改革と言えば、すぐ外国の例を持ち出すのは、
未だに、明治時代の発想から抜けきれてないのです。
確かに外国の改革を見れば、優秀な改革が多く、学ぶ必要はありますが、
外国を学ぶ前に、自分の国の偉大な改革者を学びましょう。
 ところで、最近の日本の歴史を振り返れば、
改革のポイントも見えてきます。
 公共事業という問題があります。
これは、建設需要と建設供給の問題でもありました。
 日本は、高度成長時代は、建設需要が多かったのです。
当然、建設供給も増えました。
 しかし、高度成長時代が終わったので、建設需要は減りました。
当然、建設供給も減らす必要があったのです。
建設供給能力とは、建設会社のことです。
 普通の産業ならば、需要が減った産業は、減っていくはずです。
これが、市場の法則です。
 ところが、ここで、政治家は、重大な政策ミスを犯したのです。
建設需要が減ったのを、公共事業で補ってしまったのです。
 ここに戦後日本が犯した重大な過ちがあったのです。
建設需要が減ったのですから、当然、建設供給も減らすべきだったのです。
この結果、建設業界は減りますが、新しい産業を起していくべきだったのです。
ここが、日本のターニングポイントだったのです。
産業構造の転換期だったのです。
 ところが、政治家は、全く経済学というものを知りませんでしたから、
産業構造の転換期に、なんと、先祖返りをしてしまったのです。
 しかし、これは、終わってしまったことなので、
過去をいつまでも悔やんでも仕方ありません。
 経済で生きる日本には、経済がわからない政治家は不要です。
そのような時代遅れの化石のような政治家は、不要です。
選挙で、経済のわかる政治家を選ぶよう努力しましょう。
これは、有権者の責務です。
あまりにも不要な政治家が多い。
いくら何でも、無能の政治家が多い。
これは、選挙制度にも問題があります。
現在の小選挙区制度では、あまりにも多くの小粒の政治家を生産している。